ノーサイド
まゆです、こんばんわ (っ'o')っ
「Conqueror Feruccista」全80回のうち40回まで更新しました。
この「Conqueror Feruccista」くらいから、たぶん、それ以降のBlogの口調になってきていると思います。
だんだんと血盟DragonLanceの名前で活動することが増えて、勧誘もそれなりにしていた時期だし、ゲーム日記に訪れてくれる人も増えていた時期なので、読者を意識した結果、内輪ネタばかりだった旧スタイルから転向したのだと思います。
2004年11月27日 「引退について本気出して考えてみた」の回で、またもや引退について触れています。
こうやって後日になって振り返ってみるとよくわかるのですが、
真剣にのめりこんでいる時期だからこそ、1日10時間以上とかログインするのがザラで、確実に生活をむしばんでいるのがわかっているから、「いつまでもこんな生活が続けられるわけがない。どこかで辞めなければ」という気持ちと、
真剣にのめりこんでいるからこそ、「辞めたくなんてない」という気持ちがぶつかるのだと思いました。
結局、特にリネ2では何度も(たぶん6〜7回)は「引退」をしていると思いますが、
本当に引退した今となっては、その最後の引退となった時期には、あまりログイン時間も多くなく、生活の中でリネ2が占める割合があまり大きくなかった。言ってしまえば、無くなっても生活リズムにさほど影響がない状態まで、自分の中の存在価値が下がっていた。だから、辞めることについてブレーキを踏むことがなかった、ということのように思えます。
今日アップした、「Conqueror Feruccista」の前半40回は、クロニクル1の時代の話です。
血盟DragonLanceは、まだ血盟レベルを上げている最中で、攻城戦には参加していませんでした。このころの思い出は、私の中でもっともわかりやすくMMOを楽しんでいた時期だと思います。
ギルさんの「俺TUEEEEE」とか、長距離砲のせいで近接アタッカーがひたすら走るだけだったクランハントとか、実は結構鮮明に覚えています。すごい懐かしい。
でも。
UOでは、派閥戦争という最大のうねりを逃してプレイを始めたことが私の中では非常に大きくひっかかっていて、
対人戦を売りにしていたリネ2には初期から参加したかった。それは、やはり対人戦がしたかったから。
このあと、クロニクル2を経て、クロニクル3以降、血盟DragonLanceは攻城戦に本格参入します。
「狩りをして、レベルを上げて、強くなったら、その強さを試したくなる時が来る」
とこのころの私は繰り返し言っていた気がします。たくさんの人たちがDragonLanceに集まってくれて、彼らのためにも、私は、私たちは強くならなければ。そう思い込んでいた時期ですね。
後日。
すでにDQXに活動を移していたアルカライラさんと再会したときに、「対人戦は確実にネガティブな感情が積もっていく」と言っていたのが非常に印象的でした。
いま、e-Sportsが隆盛ですけど、人を相手に勝負する以上、ましてや利害が伴う勝負において、ノーサイドの精神って本当にすごいことだと思っています。心の底では、勝負ごとに本当にノーサイドの精神って持ちうるんだろうかとちょっと疑っています。
いい勝負なんて必ず忘れられてしまうと思うし、記録に残る結果しか、後世には残らないんじゃないかと。
・・・結局、私は対人戦とか、MMOが向いていたのか、どうなのか、いまでもわかりませんね。
もう、それを知る機会もないので、この先その答えが出ることもないでしょうが、答えの得られない問いだって意味はあるものです。